6月10日(土) 白虎隊と山口県の意外な絆

先日、山口県関係の人たちが集まる会合に出席したときのこと。目の前に座っていたおじさまと名刺交換したら、名刺に「白虎隊会員」とある。白虎隊といえば、戊辰戦争のときに会津の飯盛山で集団自刃した悲劇の少年たち。長州や薩摩を中心とした官軍に攻撃された会津(福島県)では、いまも長州(山口県)嫌いの人が多いと聞く。「どうして山口県の人が白虎隊会員なんですか?」と不思議に思って聞いてみた。

「実はね、白虎隊で生き残った一人は、山口県でかくまわれていたんです。その事実は、かくまった側も、かくまわれた側も、長い間固く口を閉ざして世間に公表しなかったんですが、最近になって事実がわかってきましてね…」

後日、その男性が関連する新聞記事を送ってくれた。2013年3月28日の日経新聞。自刃した白虎隊士16名のなかに、唯一蘇生した飯沼貞吉という隊士がいる。その孫の飯沼一元氏が『白虎隊士飯森貞吉の回生』という本を自費出版したという記事だ。

それによると、貞吉をかくまったのは、山口県美祢市の楢崎頼三という人物。頼三は会津に味方した徳川方諸藩の兵を東京へ護送する責任者だったのだとか。「貞吉は頼三に庇護され、長州で西洋の電信技術を知った。新政府の工部省に入り、電信の敷設にまい進した」とある。

生きのびただけで負い目を感じたであろう隊士が、よりによって長州で庇護されたなんて、いろいろ辛かっただろうなあ。飯沼家では、白虎隊のことを話題にすることさえ禁忌とされていたそうだ。

それでも、電信技術者として文明開化に尽力し、70代後半まで自分の人生を生き抜いた貞吉は偉いと思う。傷ついた少年隊士を庇護し、貞吉の立場を考えてかくまったことをずっと黙っていた楢崎頼三と楢崎家の人々も立派だ。

白虎隊の最期のようすは、後年、貞吉によって語られた。「事実を伝える」ということもとても重要な役割。運命の神様は、彼にその役目を与えたのだろう。

白虎隊の悲劇から約150年。いま世間はフェイクニュースであふれ、何が事実で何が事実でないやら、わけがわからなくなっている。正しい語り部は、いつの時代にも必要だ。

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